大江千里
大江千里(おおえ せんり,1960年9月6日-),出生于日本东京都板桥区,毕业于关西学院大学经济系,日本男歌手、演员、音乐家。12
1990年,主演的电影《我喜欢!》在日本上映。31992年,主演的电视剧《十年爱》在日本播出。41993年-1995年,主演的电影《学校》《紧急呼出》相继上映。51998年,担任作曲和影视音乐制作的动画片《哆啦A梦:大雄的南海大冒险》在日本上映。61999年起,相继发行了《2000 Joe》《Untitled Love Songs》《未成年》《Sloppy Joe Ⅲ》等多张音乐专辑。72008年,参演的电影《能登的新娘》上映。82013年-2015年,相继发行了《Boys Mature Slow》《Spooky Hotel》《Collective Scribble》等多张音乐专辑。92016年1月,主演的电视剧《小泉今日子50岁纽约》在日本播出。102022年6月22日,发行专辑《Senri Oe Singles ~First Decade~ 》。11
基本信息
- 中文名
大江千里
- 出生日期
1960年9月6日
档案
大江 千里(おおえ せんり、Senri Oe 、男性、本名同じ、1960年9月6日 - )は、シンガーソングライター・ミュージシャン(アーティスト)。
简介
カジュアルなルックスで、「男ユーミン」と称されたこともある。
「あいたい」「格好悪いふられ方」「ありがとう」などのヒット曲を飛ばし、作詞・作曲・編曲家としても松田聖子・渡辺美里(大江とは「プラチナ・コンビ」と呼ばれた)らに数多くの楽曲を提供、その他プロデュース業も行っている。また、音楽活動の他に、映画・TV問わず俳優や、テレビ司会者、ラジオパーソナリティー、エッセイストなどマルチな活動をしている。現在はニューヨークに在住。
经历
1960年9月6日、東京都板橋区成増で生まれる。すぐに読売新聞の記者である父親が大阪本社に転勤したため、大阪府藤井寺市に移り住む。
1963年、3歳の時からクラシックピアノを習い始める。きっかけは幼稚園にいたピアノの上手な女の子にあこがれたと言う。ちなみに先生は女子高校生だったと言う。当時、「男がピアノを弾くのは変だった」と述べている。トイレットペーパーの芯をマイク代わりにして梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」を歌っていたこともある。
1967年、藤井寺市立藤井寺西小学校入学。春日丘団地に住む。
1970年、小学4年生の時に聞いた、ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」をきっかけにポップスに開眼。
1973年、父の読売西部本社への転勤のため藤井寺から福岡県北九州市の小倉に移り、北九州市立霧丘中学校に2年間通う。この頃に自ら作詞・作曲を始める。
1974年、初めてのオリジナル曲「さらば灰色の街」を作る。この曲は、公害をテーマにしたもので、12分、7番の歌詞と言う大作である。大阪から北九州に移った時のことを歌っている。さらに、ブラスバンド部にも入部する(「三人目のパートナー」はこの思い出にちなんだ曲)。日本テレビ「スター誕生!」の予選に出場するが、落選した。
1975年、「風」のコピーバンドもやり、大江はエレクトーン担当で、もう一人はギターを担当していた。
1976年、再び大阪に戻って大阪狭山市の金剛団地に居住し、大阪狭山市立南中学校に転校する。その後、大阪府立富田林高等学校に入学し、ジャズにも興味を持つ。
1977年、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン。曲は「エメラルドの風の中」)の関西地区予選に出場するが、落選した。
1980年、一浪して夕陽丘予備校に通った後、関西学院大学経済学部に入学。すぐに軽音楽部に入り、「トニオ・クレイガー」というアマチュアバンドを率いて、自主オリジナル曲を演奏する(「君はマドンナ」など)。神戸や芦屋等のライブハウスにも出演する。また、別に同級生と「オフィス宮川」も結成している。
1981年秋、関学2回生在学中にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から「トニオ・クレイガー」の時にスカウトされ(あくまでデビューはソロ志望だった)、その後、SDオーデションで最優秀アーティスト賞を獲得、三度目の正直でプロになる。曲は「サーファーブームがやってくる」(後の「瞳きらきら」)、「渚のONE-SIDE SUMMER」(現在のものとは多少違う)。しかし、大学生活や一層の音楽の勉強に励むためすぐにはデビューしなかった。
1983年2月27日、STV「サンデージャンボスペシャル」で、プロとしての初ステージを踏む。札幌・STVホールで「JANUARY」の弾き語りを披露した。これがプレデビュー的なものとなる。その後、番組レギュラーに隔週で起用され、口コミで広まった結果、「最初にレコードが売れたのが札幌だった」と述べている。
1983年5月21日、EPIC SONY(現・エピックレコードジャパン)からシングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム「WAKU WAKU」にて本格デビューした。プロデューサーは大村憲司。当時のレコーディングは、六本木ソニースタジオの「A」と「B」スタジオを使用して行われる。青山純や中村哲などの一流ミュージシャンを起用してのデビューアルバムは、こうした背景があるため音楽的な意味でレベルが高い。またアレンジには当時の洋楽トレンドを上手く練り込んでもいる。キャッチフレーズは「私の玉子様、スーパースターがコトン」(作者は当時コピーライターだった林真理子)。