シブがき队
シブがき隊(シブがきたい)は、かつて存在した布川敏和・本木雅弘・薬丸裕英によるアイドルグループ。所属事務所はジャニーズ事務所。
シブがき隊(シブがきたい)は、かつて存在した布川敏和・本木雅弘・薬丸裕英によるアイドルグループ。所属事務所はジャニーズ事務所。
メンバー 編集
布川敏和(ふかわ としかず、1965年8月4日 - 神奈川県川崎市出身)「フックン」
本木雅弘(もとき まさひろ、1965年12月21日 - 埼玉県桶川市出身)「モックン」
薬丸裕英(やくまる ひろひで、1966年2月19日 - 東京都武蔵村山市出身)「ヤックン」
概要 編集
1981年4月、TBS『2年B組仙八先生』に出演した3名により結成。 約7年後の1988年11月2日をもって“解隊”した。
1982年5月、「NAI・NAI 16(シックスティーン)」で歌手デビュー。同期に「花の82年組」の小泉今日子・三田寛子・堀ちえみ・中森明菜・松本伊代・早見優・石川秀美らがいた。同年12月の『第24回日本レコード大賞』では最優秀新人賞を受賞、又『第33回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たした(その後紅白歌合戦は1986年の第37回まで、5年連続で通算5回出演)。
「ZOKKON 命(LOVE)」のイントロのフレーズにアメリカのロックバンド「ナイト・レンジャー」の代表曲「Don't Tell Me You Love Me」(当時の邦題/炎の彼方)のイントロのリフをそのまま使った事が音楽雑誌等でネタにされることがあった。
名前の由来は「シブい“ガキ”」を意味しており、雑誌『セブンティーン』の一般公募によって『シブがきトリオ』に決定。その後まもなくして『シブがき隊』に改められた。
あえて「トリオ」から「隊」とした意味を、メンバーは当時あるテレビ番組で「『たのきんトリオ』は『トリオ』だったけれど、ぼくたちは『隊』という形で(メンバーやファンなどの)みんなと連帯したい」などと答えていた。その「隊」へのこだわりは、前述のとおり“解散”という表現ではなく「『隊』がわかれるから“解隊”」とした点にも現れている。
一方で、薬丸が「メントレG」にゲスト出演した際、『トリオ』を『隊』に変えた理由として「当時、イモ欽トリオやうなずきトリオがすでに人気だったので、同一視されないように『隊』に変えた」と語っている。なお、薬丸自身は同番組で「シブがきトリオ」という名称を当初はあまり好んでいなかったことも明かしている。
ちなみに、一般公募以前は正式名称が確定しておらず、テレビ東京『ザ・ヤングベストテン』の中では「Aチーム」と呼ばれたり(Bチームは少年隊)、『2年B組仙八先生』に出演していた事から「仙八トリオ」などと呼ばれていた。
当初は薬丸がセンターの立ち位置だったが、途中から本木がセンターになった。
結成当初、センターに立っていたことから、薬丸は他のメンバーに冗談ぽくリーダーと呼ばれることがあった。しかし実際には、特にリーダーは誰だということは決まっていなかった。
バックバンドは「シブ楽器隊」という名前であった。バンド名は事務所の社長・ジャニー喜多川が命名。
1986年、同事務所から『少年隊』がデビューしその歌唱力とキレの鋭いダンスを見た瞬間、メンバーらは「こりゃ絶対勝てないな~」と思ったと言う。
解散後、本木と布川はジャニーズ事務所をすぐに離れた。薬丸は残ったものの、1年後にジャニーズ事務所を離れた。
解散以来、3人が公の場に揃って出たことは全くなかった。しかし、本木も布川もそれぞれ薬丸が司会の『はなまるマーケット』の「はなまるカフェ」にゲスト出演している。ただし、本木と布川は何回かプライベートで会ったことがあるそうで、「はなまるカフェ」でそれを知った薬丸はショックを受けていた。その後、本木主演の映画「おくりびと」が第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した際、授賞式の翌朝、同番組でロサンゼルスより生中継にて薬丸が本木にインタビューし、久しぶりの二人の出演が実現した。 また薬丸のレギュラー番組『オジサンズ11』に布川がゲスト出演し共演を果した。
薬丸はシブがき隊内で浮いていたという意識が強いらしく、『速報!歌の大辞テン』に出演する際にしばしば「シブがき隊は僕と他の二人に分裂していた」という旨の発言をしていた。逆に布川は上昇志向の強い薬丸とマイペースを貫く本木の間でどう振舞うべきか困惑することが多かったという。また、薬丸はチェッカーズや吉川晃司といった続々と出てくるライバルに闘志を燃やしていたが、逆に布川や本木はチェッカーズと仲良しで、チェッカーズが住んでいた合宿所にも遊びに行っていた。それを知った薬丸は「どれだけ自分たちのファンを持って行かれたと思ってるんだ!」と憤っていた。